山鹿市の 「さくら湯」 開湯
共同企業体代表  野中 誠二氏に聞く



写真


 江戸期の建築様式を色濃く残す山鹿市の大浴場「さくら湯」が23日に開湯する。約370年前に御茶屋として歴史を刻み始め、明治5年の大改修で市民温泉として生まれ変わったが、昭和33年の改修で雰囲気を喪失、同48年には再開発ビル建設に伴い解体されて姿を消し、ビル内で開業。そのビルも老朽化で取り壊されていた。市民に愛され歴史を刻み続けた「さくら湯」を今回、市内10社の手で、明治以来の往年の姿に蘇らせた。建築工事の代表として指揮した野中建設の野中誠二社長に思いを聞いた。




――いよいよあす、さくら湯が開湯します
 再開発で解体される昭和48年までは実際にあった建物の復元工事でしたので、施工中は地元の皆さんが「昔はどうだった」「よく遊んでいた」など、当時のいろんな思い出を話してくれました。内観は33年の改修以前の姿ですから、年代によって風呂の形や深さなどの懐かしさも違います。そういう意味で「思い出の場所を復元させていただく」というプレッシャーはありましたが、皆さんに昔を懐かしんで喜んで頂くことができ、今はホッとしています。

――施工中は市民を巻き込んだ催しが数多く実施されました
 みんなでつくった「さくら湯」にしたいという思いが市にも私たちにもあり、見学会や土壁塗り体験、とんとん板、親子木工教室などを企画しました。土壁塗りでは、子ども達が泥だらけになって一生懸命、壁を塗ってくれました。自分の塗った場所が分かるよう平面図に印を付け、「どこを塗って、そこがちゃんと仕上がっているかどうか見に来てね」って渡しました。
 とんとん板は、玄関の屋根瓦の下に敷く杉板のこと。約300枚の板に墨で好きな言葉やメッセージを書いてもらいました。文化財はおよそ50年ごとに屋根や瓦の小修理をするので、そのとき書き込んだメッセージを再び読むことができます。さくら湯自体がタイムカプセルという仕掛け。夢があるじゃないですか。

――さくら湯の顔ともいえる南北2カ所の唐破風玄関には、よく見ると古材が使われているのがわかります
 博物館とか倉庫とか、あちこちに部材が保存されていましたので、「いつかはさくら湯を復元したい」という思いが市にあったのでしょう。プラザ解体時に残してあった紅梁や破風板、垂木など使える部材も全部そのまま使いました。ですから割れが入ったり、木が痩せたりしています。瓦も唐破風の上は、数があるだけ古瓦を使いました。風呂のふち石もなぜか大宮神社に3個あり、大理石の湯の口も残っていました。極力復元し、部分的に悪いところはそこだけつくり変える。「古いものも使う新築」との意向を汲みながら手掛けました。

――公共事業の削減もあり、伝統技術の継承が危惧されています
 とんとん板は伊勢神宮などの重要文化財を手掛けた岡山の職人、左官は熊本城本丸御殿を手掛けた県内のカワゴエさんにお願いしました。土壁は半年以上寝かせた土を使用。漆喰も、通常は既製品ですが、今回は現場で海草を煮て作りました。80歳近いベテランの職人が、若い連中の指導をしてくれて。もちろん仕様書にそんなことまで記されていませんが、そこまでしないといけないと判断したのです。
 文化財保護の目的は伝統を引き継ぐということ。伊勢神宮は20年に1回遷宮がありますが、日本古来の伝統技術を残すという目的もあります。それがないと職人の技術が無くなってしまいます。仕事がないと技術が伝わらないからです。そういう意味で、伝統工法を残すことにも役立ったと思っています。

――当時の姿に再生するには、建築基準法やハートビル法など現行法規への対応が必要です
 重要文化財であれば建築基準法の適用外ですが、今回は伝統工法とは言っても建築基準法が適用されます。壁と筋交いではもたないため、柱と柱脚との接続部約300カ所にホームコネクター(金物工法)を採用しました。ほかは全て仕口や継手などの伝統工法のままです。ただ、これだと柱を傾けることができず、ほぞが入りません。そこで柱下部に30aのパッキンを入れ、クレーン3台で持ち上げた状態で柱と梁を空中で組み、曳屋業者が5aずつ6段階に分けて落としてくという施工法をとりました。技術的に一番難しかったですね。
 ハートビル法については、普段あまり使わない北側を段差のある当時の姿、メーンに使う南側は、誰でも入れるようスロープにし、屋内の段差も極力小さくしています。その関係で柱の下の石が埋まってしまいました。柱を切ればいいという考え方もありますが、古材を傷つけず本来の柱の高さを守ることにしました。「法の関係で床を上げたから埋まりましたよ」と、あえて意識させてあります。

――杉や桧など山鹿市産の木材を積極的に使用されています
 原木で約700立方b、2836本、上小節以上を使用し、ほとんどを市産材でまかないました。文化財工事は使用する木を自然乾燥させるので、材料の確保から計算すると工期が最低3年は必要になります。今回の工期は17カ月でしたが、必要な量を市が事前に用意されていたので非常に助かりました。設計者と森林組合が打ち合わせて木を確保し、貯木場で保管してありました。
 一括りに「木造」と表現しますが、私たちは木と木を仕口で組み合わせてあるのが本当の「木造」と考えており、集成材とかを使って仕口が無いのは「木質系造」だと捉えています。プレカットしたものを組むのではなく、上木か下木か、どう曲がるか、木の癖を一本一本見るのが大工の技術です。本当の「木造」は大工の技術でないと残せません。

――総工費は9億円あまり。設備も含めて全て地元10社による共同企業体で施工されました
 発注して頂いた山鹿市の期待に応えるという強い意識で臨みました。地元JVだけでも出来ることが証明できたと思います。他地域の地元の建築業者にとっても励みになったのではないでしょうか。
 もう一つ考えるべきことは、当時のさくら湯を造った江上津直と井上甚十郎の息子たちが、八千代座を手掛けているということ。そして今回地元の私たちがさくら湯を復元しました。このように脈々とした繋がりが山鹿にはあります。先人達が山鹿をつくり、私たちがまちづくりを受け継ぐ。「地元の人が頑張ったまち」になればと思ってやっています。

――開湯後のさくら湯に期待すること、まちづくりに対する地元建設業の役割は何でしょう
 風呂だけですぐに帰るような温泉センターとしての価値で終わったら意味がありません。ゆっくり風呂に入り、その後食事を楽しみ、まちを散策してもらえれば。山鹿の歴史もですが、どこの町にもあった昔の風景を懐かしんでほしい。
 これまで八千代座と下町は繋がっていませんでしたが、新たな点が出来たことによって、人が散策できる線になったと思います。今後は、これが面に広がっていけばいいなと。さくら湯に人が集まり商業が活性化することで、「山鹿のまちをみんなで考えよう」という気運が高まればと思っています。その起爆剤になるはずです。
 建設業はまちと連携する必要があると思っています。その建物がまちにどういう影響を与えるのかを考えるべきで、デザインや機能もそうです。永年に渡って地元の人が喜んでくれる建築であるべきです。

*建物概要
 木造2階建1階面積932・03平方b(ポンプ室を除く)、2階面積63・12平方b
*主要構造部の仕上
木材(柱・梁)=杉、桧▽屋根=瓦葺、オーダー品▽外壁=土壁の上しっくい塗(しっくい、黄土しっくい、弁柄しっくい)
2012.11.22掲載

戻る

  All right reserved for west japan construction news Co.,Ltd    renewed on 2004/4/8 Y.アクセス昨日 T.アクセス本日