平成19年6月21日新聞掲載
伝統的建築物を保存・修復、新築にも統一性。
地域に根ざしたまちなみづくりに貢献
(社)熊本県建築士会山鹿支部
    まちづくり景観研究部会
福山 博章代表に聞く
 山鹿市の旧豊前街道を中心とした山鹿温泉界隈が、県内で初めて、都市景観大賞の最高賞「美しいまちなみ大賞」(国土交通大臣表彰)に輝いた。全国各地で景観に配慮した街づくりが進められているなかでの大賞受賞。10数年間にわたって同地区のまちづくりに携わってきた(社)熊本県建築士会山鹿支部まちづくり景観研究部会の福山博章代表に、成功の秘訣や、行政・民間との連携、今後の活動方針などを聞いた。

――まちづくりに取り組むきっかけとなったのは
 八千代座が昭和63年、国指定重要文化財に指定され、復興や都市景観条例制定などの動きが出てきた。そうなると、建物といったハード面が重要になり、市の景観調査に建築士会も加わるようになった。だったら自分たちのまちのことを考えて「動ける」部隊をつくろうと、平成5年に景観研究部会を発足させた。
 重文指定以前にも、地域の老人会などが雨漏りする屋根を葺き替える「瓦一枚運動」といった活動があり、先輩達のエネルギーも感じていた。建築士だけでなく、青年会議所や桟敷会、商工会などいろんな人たちが参加して、八千代座を核にしたまちづくりの概念が出てきて、歴史を踏まえたまちなみ運動へと広がった。
 これを受け市は、電線類地中化、歩道・外灯・トイレなどの整備や、まちなみ整備資金による民間施設修景への補助金を出すようになり、八千代座に似合う景観づくりが進められていった。

――民間施設の場合、景観に対する理解を求めるのに苦労したのでは
 パラペットや大形看板を取り外したりして、本来の家並みの良さが表に出てくる「平入り」という町屋形式の外観づくりを提案してきた。
 景観条例に規制力はあまりなく、新築住宅の場合は特に大変。虚空像さんの隣で、洋館を希望されていた人に理解して頂き、まちなみに合った外観へと変更してもらった。それに加え、敷地内の個人の駐車スペースを、祭りや公演の時、金魚すくいや、生け花、ストリートアートなどのオープンスペースとした。まるで昔からそこにあったかのように。
 自分の家だから好きなように建てていいのは当然だが、公共性という顔もあり、地域の人に喜ばれる存在であったほうがいい。そのような思いで、設計を手がけてきた。私も含めいろんな建築士が50数件の修景に携わった。

――建築物の修景でまちなみづくりが進められたのか
 土木工事も同様。市が電線類地中化工事のために掘削したときに、偶然、昔の側溝の名残が見つかり、地元産である凝灰岩の鍋田石を使って見事に再生・復元した。道路も、補修工事で高くなっていた道路高を大正時代のレベルまで20aほど掘り下げた。当時の人たちと同じ目線にするために。再生のヒントは足元にもある。
 これらハード面だけでなく、歴史や文化を詳しく説明する旅先案内人や、酒蔵、味噌蔵、米蔵など米をテーマとしたスポットを地元商店街の人たちが案内する米米惣門ツアーにも取り組んで頂いている。
 建築士、工務店、土木工事業者‥と単体では本当に力のある動きになりにくく、場合によってはひとりよがりになりがち。みんなが力をあわせることで大きな力、うねりとなる。土木も建築も設計もデザインもまちの人もみんなが一緒になって初めて良好なまちなみが形成される。




街道の中に再生のヒントや答
「おもてなしの心」でまちづくり
――建築士という専門的な立場からみて、まちづくりのポイントは
 豊前街道のデザイン行動を踏まえた上で、テクスチャーやデザイン、色合いなどを総合的におさえていくことが重要。また、発見的方法とか言われるが、よく目を凝らして、釘の穴や継手の跡、修理した跡などを紐解くと、過去に旅することが出来るくらいの情報が残っている。歴史や時代の魅力を引き出すことがいい再生、修景のキーワードになっていくのではないか。
 いろんなまちに行って技術的、専門的な参考にすることはあっても、デザイン行動については、豊前街道のなかに答えやヒントがいっぱいある。他の地域のマネをしてはダメ。

――表彰名にある「美しいまちなみ」とは豊前街道にとってどういうことか
 ハードもソフトも要は「おもてなしの心」。もちろん見た目の良さも必要だが、おもてなしが出来るやさしい心がないと美しいまちなみとは言えない。ハードだけでなく心やパブリックポリシー。デザインありきでは無くて、このような考え方や概念を持つ人が取り組むことによって、少しずつディティールが傾倒されていくのではないか。
 明治に戻そうとか江戸に戻そうとかいうことだけで美しいまちなみは出来ない。時代の生き証人を今の時代に即して再考することによってまちなみが形成されていく。
 建築物でいえば、雨が降ったら雨宿りが出来るつくりで、人を招き入れる開かれたファサードとなっている。個人の建物の一部にもかかわらず、縁側のような部分が軒に並ぶ。繋ぐ空間があって、まちと建物が一体となっている。そういうのが「おもてなし」ではないか。

――全国各地から多くの観光客が訪れているが、一番の魅力は
 豊前街道は道で表彰されたわけではなく、両脇の家並みも含めて表彰された。もちろん官民境界があるが、この境界を超えたパブリックスペース、トランジッションスペースがある。路地とか個人住宅も街道の一角で、どこまでが公共スペースでどこが個人住宅かわからない混在、混沌としたところが魅力だ。行政も補助金等でその境界を超えて協力してきたし、食文化やおみやげ文化もある。
 またこの街は「ハレとケ」の両方にやさしい。特別なお祭りや公演などで人がたくさん集まる日もあれば、魚屋さんで食材を買い求める日常もある。この複合的な魅力がある限りまちは生き続ける。
 ひとつの切り口で出来たものは、ある時代の一過性によって淘汰され、無くなってしまうが、こういう多様性をもっているまちは、叩かれようが下がろうが、また戻ってくる。八千代座は使う文化財。豊前街道もおかざりのきれいなまちなみではなく「生きたまちなみ」。ハリボテではないから深み、趣がある。

――まちづくりにおける建築士の今後の役割は
 豊前街道のデザイン行動と概念を理解しているからには、うかつな仕事は出来ない。自己責任ではあるけれど、そこには公共的な責任も一緒にあるということがまちづくりの難しいところ。個人の建物であっても公共的な使命、責任を伴う。建築士としてここを忘れてはいけない。
 大賞を受賞はしたが、まだはじまったばかりという感覚もあり、成功例という思いもない。実際、年間5棟、10年で50棟程度が解体され駐車場などに変わっているし、崩れかかった蔵があっても、持ち主と家主、借り主の都合で手が付けられなかったり、金銭的な問題もある。非常に悔しいし、もどかしい。
 ただ、八千代座を核としたまちづくりが豊前街道に広がって今回の流れとなり、ベクトルの方向がやっと揃ってきた。今後も、建築士がまちの人に受け入れられる、ためになる¢カ在であり続けられうよう、地域に根ざしたまちづくりに取り組んでいきたい。

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