熊本城の往時の姿を蘇らせる復元事業が今年クライマックスを迎える。熊本城築城400年祭でも目玉となる本丸御殿が4月に落成するからだ。平成11年から進められてきた本丸御殿復元には、延べ4万3000人もの工事関係者が携わった。この現場を指揮・監理している熊本城総合事務所整備振興室の下田誠至技術主幹に復元事業の歩みを聞いてみた。
 (完)   いよいよ最終章 平成20年1月2日新聞掲載
 熊本城本丸御殿復元整備

本丸御殿は技術の伝授・継承の場

――復元事業を進めていく上で、管理者として特に苦労した点は
 復元ということばかりではなく、観光名所としての整備もキチッとやらなければならない。来訪者に見て頂くため、ユニバーサルデザインを取り入れるとか。そういう現代版と復元との摺り合わせや調整に苦労した。
 設計の段階で言えば復元をどこまでやるのか。今回の設計で重要な考え方の一つが「目に見えないところまでやるのか」ということ。目に見えないから現代版でやると耐久性はアップする。しかし復元という意味でどこまで拘(こだわ)るか。個所毎に判断が必要となる。我々は現代版の設計屋なので、復元の設計屋と調整しながら使い分けた。

――伝統的な木造建築物を復元する作業には、部材の調達など難しい面が数多くあったかと
 総事業費54億円のうち、木材だけで17億円を費やした。建主側が材料だけ調達して施工者に提供するパターンも考えられる。ただ、材料の善し悪しは専門的な立場から見た方がベター。我々も監理しやすいし、調達したが使いものにならないなどの不備もない。
 膨大な木材をさらに厳選していく作業も行った。割れやフシなどで撥(は)ねた木材もけっこうある。加工したらやっぱりダメだったものも出た。普通の住宅に使う分には全く問題ないが、本丸御殿には相応しくなかった。
 築城400年(平成19年)に間に合わせるため、発掘調査と併行し実施設計をやった。時間があるなら発掘調査をキチッとやって、実施設計を慎重にやるのが理想的。復元工事を進めていく上で、現場で絵図面と照らし合わせていくと「確かにここに柱があった。そうすると梁がここに」と設計変更しながら木材を追加した。この作業で木材費を約3000万円増額した。

――復元に携わった多くの技術者の腕≠ノ驚いたが
 本丸御殿を施工する前に、市では南大手門や飯田丸など5棟の施設を造っている。今回は、それに携わった大工さん職人さんを集結させた。城郭建築物というのは、熟練した職人さんでないと難しい。入札条件にもそのことを明記したし、下請についても特記事項で定め、経験を重視した経緯がある。
 実際、佐賀城、京都二条城、丹波篠山城などを見学に行き、参考にした。大まかな所は図面を見れば解るが、図面で表現できない細かい部分、特に木と木の組み合わせだったり、納まりだったり。我々は全体の雰囲気などを参考にしたが、職人さん達は出来の善し悪しを判断材料にしていた。プロの目で見ると解るらしい。

工事に携わった殆どが熊本の職人

――地元にも高度な技術を持つ職人がいることを再認識できたのでは
 職人さんたちは、みなさん拘りを持って仕事をされている。お金の問題ではなくて「自分が造ったんだ」「良い物を造りたい」という想いがひしひしと伝わってくる。無理な注文も聞いてくれた。それも一生懸命に創意工夫しながら。これまで現場の公開を2回やったが、大工さんや職人さんは、自分の仕事を見せたいと家族を連れていらっしゃる。ああいう光景は、職人さん達が自分の仕事に誇りを持っておられる証拠だと感じた。
 今回、工事に携わった方の殆どが熊本の職人さん。復元の一つの目的に「極力、地元の材料を、地元の職人で」という地場業者の育成がある。この現場を経験した若い職人さん達は、またどこかの現場で経験を積まれ成長されることだろう。このような歴史建造物は当然、20年、30年後、補修の時期が来る。その時、修行された彼らの技術が必要になってくる。地元に職人がいると心強い。本丸御殿の復元は技術伝授・継承の場≠セったことが立証される。

――来訪者に見てもらいたい所は
 闇(くらが)り御門から見える部材の大きさ、木組みの凄さは非常に見応えがある。出来上がりでは判らない部分ついては、内部の展示を考えている。本丸御殿の全体模型、発掘品なども展示したり、工事経過をビデオで流したりすることで工事の概要を紹介したい。「文化財の復元はここまで忠実にやらないといけない」ということをきっと判ってもらえると思う。
4月20日、一般公開

 熊本城復元整備のメーンである本丸御殿大広間の一般公開日が4月20日に決まった。およそ4年半の歳月をかけて進めてきた同御殿の整備は、季節毎に多彩な催しを展開している築城400年祭のエピローグ「未来へ」(3月22日〜5月6日)とともに幕を下ろす。
 本丸御殿は、城郭のなかで天守閣と同じく中心をなす建物で、藩主の居間、対面所、台所などの機能を備え、大広間、大台所をはじめ数寄屋、書院などの多くの部屋から構成。慶長15年(1610年)頃、加藤清正によって建設され、その後寛永10〜12年(1633〜1635年)頃に細川忠利が増改築した。
 建物は幕末まで存続し、廃藩置県後も熊本鎮台の施設として利用されていたと思われ、明治10年(1877年)2月、西南戦争直前に焼失した。
 復元では、江戸中期などの絵図資料をはじめ、文献資料、古写真、発掘調査等をもとに木造・入母屋造り延べ2951・11uの御殿を忠実に再現。総事業費は約54億円で、うち約11億円が、熊本城復元基金として国内外から集まった寄付金を充てている。
 熊本城総合事務所は「誇りを持って作業に臨んだ職人たちの拘り部分をはじめ、史実に基づき忠実に復元した全国でも類を見ない本丸御殿をぜひ見て頂きたい」と話している。
 4月20日の一般公開日には、熊本市の幸山政史市長らが出席し落成式も行う。

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