熊本城復元整備の目玉事業で、来春の一般公開が間近となった本丸御殿大広間。400年前にさかのぼって当時を忠実に再現するこの大普請の裏側には、多大な努力をした専門工事業の姿があったという。目指したのは、資材、職人とも限りなく地元熊本にこだわること。大工、左官、建具など専門工事の知られざる現場にスポットを当てシリーズで紹介する。
G 石垣   (有)林建設(玉名市) 平成19年12月24日新聞掲載
 熊本城の石垣は、唯一、この人にしか築(つ)けない。これまで深く修復工事に携わった実績もあり、熊本県内をはじめ全国からその腕が求められている。本丸御殿にも、もちろんその技術が活かされた。距ム建設の木下浩昭石工事部長がその人だ。
「昔の技術に戻すこつが難しか」
 石一筋38年の経歴は伊達ではない。出身地の玉名市天水町はみかん処として有名。その段々畑をよく見ると、随所に石積みが施されている。小さい頃から石職人の父に連れられて、石工としての基礎を学んだ。石職人になってからは、時代毎に違う石積み技法をつぶさに学び、今では文化財の石垣工事には無くてはならない存在となった。
 「熊本城の石垣も年代ばかりじゃなか。請け負った藩ごつ、石工ごつ積み方ん違う。そん石工独自の積み方んあって、技術もだんだん進歩してきとる。復元するときゃ昔ながらん手加工で技術ば戻すこつもせなん。そるが難しか」。木下部長はこれまでの経験や勉強した知識を基に昔の職人技を再現する。
 本丸御殿の復元は、修復作業が主な工事。ここで木下部長が拘(こだわ)ったのは出隅に築く隅石の位置だ。壊れかけた石垣は、修復前に全てチェック。レベルを据えて、木下部長が指示する隅石の位置を正確に把握する。石には番号がうってあって、それを寸分の狂いもなく積んでいく。「美的感覚を現すとこるが隅」。木下部長が手がけた隅石は、歯のかみ合わせのようにガチッと決まり、元あった位置との誤差もミリ単位だという。
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 復元以外の石垣には、割った石をそのまま築く古来の技法を使う。出来上がりはすでに木下部長の頭の中に描かれている。距ム建設の林大作社長は「彼は石を見切る≠アとが出来る人。どこにどの石を築くのかイメージが出来上がっている」と不思議な感覚で見守っている。
 木下部長は、弟子でこの道10年の河本浩次さんを後継者に指名している。昔と違って頭ごなしに教えるのではなく、納得させて育ててきた。「河本くんな、おるがどけぇどん石ば築くか解っとる。コンビはそんくらいじゃなかとでけん」。
 本丸御殿の復元事業は、木下部長にとって技術の伝承の場でもある。自分が失敗した経験から、石の配置、切り方、築き方を指導する。「職人は出来んてゆうな。努力するていえ。石は生きとる。石と女にゃ本気でむかれ」。木下部長の職人としての教えは人生哲学≠ニなって、後継者達に受け継がれることだろう。






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