熊本城復元整備の目玉事業で、来春の一般公開が間近となった本丸御殿大広間。400年前にさかのぼって当時を忠実に再現するこの大普請の裏側には、多大な努力をした専門工事業の姿があったという。目指したのは、資材、職人とも限りなく地元熊本にこだわること。大工、左官、建具など専門工事の知られざる現場にスポットを当てシリーズで紹介する。
@ 大工   (株)カワゴエ(熊本市) 平成19年11月8日新聞掲載
 熊本市の(株)カワゴエ(川越一弘社長)は、本丸御殿の威容を形作る木材加工組立を担当した。扱った木材は総数約1700立方bで、桧をメーンにケヤキ、松などの銘木ばかり。復元の命題は当時をあくまでも忠実に再現≠ニいうことから、作業も細部にわたるまで当時の技術が求められた。
本丸御殿は培った技術の集大成
 「今回のような大がかりな復元工事は、全国から一流の職人を招集して作業を進めていると思われがちだが、そのような事はない」。カワゴエでは、20年程前から奈良や京都に職人を修業に行かせるなど文化財木工技能士の育成に力を入れ、これまで南大手門をはじめ、飯田丸五階櫓、未申櫓などの工事を地元の職人で手掛けている。川越社長は「その地元の職人が培った技術の集大成が本丸御殿」と自負する。
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 作業は、基礎となる石垣に木材を設置する土台のひかり付けから始まった。通常の建築は、平面のコンクリート基礎に製材された木材を据え付けていくのに対し、城建築は、凸凹の石垣に合わせ、木材を削ったり、くり抜いたりして納めていく。伝統技術が光る一幕だ。
 建築中、特に高度な技が要求されたのは、職人達が「神懸かりだった」と表現する丸太の組立。表面を少し削っただけで、ねじれや曲がりもそのままの丸太を3次元的に組み合わせる技術は、ベテランでも大変苦労したという。「切羽詰まった作業と職人達は言っていたが、キャリアの積み重ねがあったからできたのだろう。見事な技だ」。
 興味深いエピソードを教えてくれた。昔の大工職人は城などを建築する際、柱に自分の名前などをイタズラ書きしたそうだ。このイタズラが数百年経った現在、どこの地方の誰が手掛けたかなどの痕跡として残り、復元の大きな手がかりになっている。
 「復元は単なる新築ではいけない。確かな根拠と伝統技術が必要だ」。本丸御殿を作り上げた地元名工の技術は、熊本の財産として後世に伝えなければならない。





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